
宮崎南部・日南No.526★★地図で見る →
飫肥城下町
宮崎県南部、日南の海から内陸に入ったところに残る伊東氏5万1千石の武家町。石垣も側溝も地元の石、門も板塀も地元の杉で、通りの区割りは江戸期のかたちを保っている。
- 起点宮崎駅
- 約1時間45分JR日南線+徒歩20分
- 降車飫肥駅(JR日南線)
- 徒歩
- 飫肥城下町
狙い目
飫肥は内陸にある。宮崎南部を旅する人の多くは海沿いの道を神社や浜へ向かうので、そこからは外れる。九州ではよく知られた町だし、受け入れの体制も整っているから、穴場ではない。それでも落ち着いて見えるのは、低い塀と長い直線の通りという町の造りが、人だかりのできる場所を作らないからだ。
場所
宮崎のほかの記事 18件・地図で開く →見どころ(歩く順)

- 大手門通り城へまっすぐ延びる参道。石垣と杉板張りの構えが続く
- 大手門石段を上がりきったところに構える城の正門
- 本丸跡天守のあった一帯に杉が植わり、足元は一面の苔
- 豫章館最後の藩主の邸宅。背後の山を借りた庭を持つ
- 振徳堂藩が置いた学問所。大手門から歩いてすぐ
実際の行き方
- 宮崎駅→飫肥駅(JR日南線。運転日なら観光特急「海幸山幸」で約1時間半)。
- 飫肥駅→大手門通り(西へ徒歩約20分)。
- 共通券を買い、大手門通りを上がって門と城跡へ。
- 有料施設が閉まる前に坂を下り、豫章館と振徳堂を見て締める。
- JR日南線で宮崎から南へ
- 宮崎駅からJR日南線で飫肥駅、そこから西へ徒歩約20分で大手門に着く。普通列車は1〜2時間に1本程度。観光特急「海幸山幸」なら約1時間半だが運転日が限られるので、この列車を軸に一日を組む前にカレンダーを確認しておきたい。
- 飫肥駅から戻る
- 町から東へ歩いて飫肥駅に戻り、宮崎方面の列車に乗る。運転日なら「海幸山幸」が飫肥14時29分発。普通列車は間隔が空くので、町に入る前に帰りの時刻を控えておくと安心だ。
どんな場所か
飫肥は日南の海岸から少し内陸に入った川沿いの盆地にあり、伊東氏はここで5万1千石の藩を約280年にわたって治めた。町を組み立てているのは、この谷が産んだ二つの素材だ。近くで切り出した石が石垣と護岸と側溝になり、藩が山に植えた杉が門と梁と板塀になる。城山の下には武家の通りがまっすぐ伸び、その先の平地に商人町が広がっていて、今でも歩けば別の町に入ったと分かる。すべての費用を出したのは杉であり、同じ杉が海まで下って積み出されていった。
おすすめの楽しみ方
一棟だけ見てもこの町の理屈は見えないので、最初に入る家で共通券を買ってしまうといい。有料の建物は夕方前に閉まり、通りは閉まらない——だから室内を先に、町歩きを後に回す。運転日であれば観光特急が11時09分に着いて14時29分に折り返すので、主要な屋敷と商人町を一本、ちょうど見て回れる。道々の店で売っている飫肥天は、この町の名物だ。
歴史・背景
伊東氏が城を取り戻したのは1588年で、以後この城から藩を治め、明治の廃藩まで続いた。町並みが国の保存地区に選ばれたのは1977年、九州では最初の選定だった。石段の上の大手門が藩の杉で建て直されたのはその翌年にあたる。城の下には江戸期の建物が今も元の敷地に二棟残っている——最後の藩主が移り住んだ豫章館と、家臣の子弟を学ばせた藩校・振徳堂である。
行く前に
- 現金
- 通りも大手門前の坂も石段も無料。建物の中に入るのは有料で、飫肥城歴史資料館・豫章館・松尾の丸・小村寿太郎記念館をまとめた共通券が各入口で売られている。料金と最終受付の時刻は、その日の掲示で確かめること。
- 行く前に
- 有料施設は夕方前に閉まり、年末に数日の休みが入る。通りは時間を問わず歩けるが、街灯のない区間がある。城跡へ上がる石段は勾配が急で、雨のあとは滑りやすい。
- 別ルート
- 日南の海側から上がってくるなら、飫肥駅は油津から二駅。城下町と港の運河を、鉄道だけで一日にまとめられる。
- 降りたあと
- 飫肥駅から道を西へ約20分歩くと、城への参道にあたる通りに出る。その突き当たり、石段の上に大手門が構えている。