
長野東部・東御No.787★地図で見る →
海野宿
〜北国街道の重伝建の宿場町〜
長野県東部に残る旧北国街道の町並み。道の中央を用水が流れ、その両側に百棟ほどの家が並ぶ。宿場としての顔と、そのあと養蚕の町になってからの顔が、同じ正面に重なって残っている。
- 起点上田駅
- 約20分しなの鉄道+徒歩
- 降車田中駅(しなの鉄道線)
- そこから
- 海野宿
狙い目
静かな通りだ。そして正直に言えば、静かなのは人の流れが去ったからである。明治に鉄道が街道の仕事を持っていき、それが戻ってくることはなかった。残ったのは、行列なしで二十分で歩ける重伝建地区と、自分に課すのにちょうどいい宿題だ。端まで着くまでに、どの卯建と格子と屋根が何世紀のものか、当ててみるといい。
場所
長野のほかの記事 27件・地図で開く →見どころ(歩く順)

- 白鳥神社東の端に立つ産土神の社。境内の中央に、樹齢を重ねた大きなけやきがある
- 道の中央の用水通りの真ん中を流れる水と、そこに架かる小さな石橋。街道時代から受け継がれたもの
- 卯建隣家との境に立ち上げた防火の壁。屋根まで通した本卯建は江戸、袖卯建は明治のもの
- 海野格子二階の出格子。長短二本の桟を交互に組んだ、この通り特有の割り付け
- 気抜きと海野宿資料館蚕を飼う二階の上に開けた通気のための小屋根。その仕組みは旧旅籠の資料館で説明されている
実際の行き方
- 上田駅→田中駅(しなの鉄道線)。
- 駅から北西へ歩き、千曲川を渡って家並みの東の端に出る。
- 白鳥神社から入り、用水に沿って西へ通りをたどる。
- 資料館で締めるか、そのまま大屋駅まで歩いて電車に乗る。
- しなの鉄道で田中へ
- この一帯の新幹線の窓口は上田駅。そこからしなの鉄道線に乗り換えて東へ、東御市の代表駅である田中で降りる。通りまでは北西へ二十分ほど。駅のある段丘から下り、千曲川を橋で渡って、向こう岸へ上がる形になる。
- 田中駅から上田へ戻る
- 行きと同じ道、同じ路線を戻る。ローカル線なので夕方以降は間隔が開く。通りに腰を落ち着ける前に、帰りの一本を決めておきたい。歩くのがつらくなったら、タクシーは観光案内の窓口から呼ぶことになる。現地に待っているとは限らない。
どんな場所か
旧北国街道のこの区間には、いまも百棟ほどの家が向かい合って建っている。あいだを分けるのは、道の真ん中を流れる用水だ。この水と、そこに架かる小さな石橋は、後から整えた景観ではなく、当時からのものである。この家並みが変わっているのは、一列で二つの商売を抱えている点だ。街道時代の旅籠は間口の奥に深く、太い木を使う。それを引き継いだ蚕室は二階を足し、通気の穴を開けた。蚕を飼うのに要るのは広さより空気だからだ。時代が変わるたびに建て替えたのではなく、手を入れて使い続けた。だから一軒の正面に両方が出る。
おすすめの楽しみ方
歩くだけなら二十分、読むつもりなら二時間。一日ではなく半日の場所として組むといい。宿題をひとつ持って入るのがおすすめだ。この家の二階は客のために建てたのか、蚕のために足したのか。答え合わせは屋根を見ればできる。当てずっぽうが嫌なら、観光協会に頼めばガイドを予約できる。写真は朝夕の低い光がいい。卯建が正面に影を落とすからだ。
歴史・背景
宿場が置かれたのは1625年。北国街道は、日本海側の国々と内陸の街道筋をつないだ道である。明治に入って鉄道がその仕事を奪うと、この町は旅籠を蚕室に作り替えることで応じた。衰退ではなく、業種の転換だ。評価されたのはずっとあとで、しかも二度あった。1986年に日本の道百選、翌1987年に重要伝統的建造物群保存地区。種別は「宿場町・養蚕町」と、二つ並べて記されている。
行く前に
- 現金
- 通りを歩くこと自体は無料で、駐車場も無料。資料館や有料の小さな施設はそれぞれ料金と休みを決めていて、開いている日も揃っていない。着いてから確かめるのが早い。現金は持っておきたい。商店街ではなく、集落の一列だからだ。
- 行く前に
- 家ごとに休みが違い、そもそも公開していない民家も多い。見るのは通りそのもので、中に入れたら儲けものと考えたほうがいい。冬は寒く、通りは川からの風が抜ける。除雪はされるが、石の縁は滑る。
- 別ルート
- 同じ路線でひとつ西の大屋駅からも徒歩二十分ほどで、こちらは通りの反対の端に出る。一方向に歩き切って反対側から帰りたいときに使える。車なら、地区のために三か所の無料駐車場が用意されている。
- 降りたあと
- 田中駅は北側へ出て、北西へ向かう。段丘をいったん下り、川を渡って、また少し上がる。下りも上りもわずかで、道は最後まで舗装されている。着くのは家並みの東の端、神社のわきだ。歩き出すには、こちら側からのほうがいい。